神社・古墳めぐり / 尾張の式内社めぐり / 野見神社

野見神社

式内野見神社(のみのじんじゃ)は、一宮市今伊勢町宮後の「野見神社」と稲沢市浅井町の「浅井神社」に比定する二説がある。

式内社調査報告では、色々な考察の上で、「消極的ながら宮後説を採るべきであろうか」としていて、わたしは、宮後の「野見神社」を訪ねた。

【所在地】

野見神社は、一宮市今伊勢町宮後稲荷1929に鎮座する。

今伊勢町宮後の集落の南端に位置する。

「日本歴史地名体系23」によれば、「宮後」という地名は、野見神社の北に位置していることに由来している。

野見古墳・でんやま古墳など15基の古墳があったと推定されている。

「今伊勢町」は、古代の「神戸郷」に含まれ、「神戸」は、尾張地方に設定された伊勢神宮の封戸であった。

今伊勢町本神戸のほぼ中央を南北に岐阜街道が通じる。

この地は、5世紀代築造の車塚古墳(目久井古墳)や7世紀の古墳も残存していて、この地域が5世紀代の尾張北西部の中心地域と考えられていて、7世紀代に北部の浅井古墳群がとって代わるのであろうと推定されている。

【祭神】

現在の祭神は、天穂日命(あめのほひのみこと)・野見宿禰命(のみのすくねのみこと)とされているが、式内社調査報告では、「本来の祭神は、未詳とすべきであろう」としている。

天穂日命は、天照大神の第二子とされ、葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服してその家来になってしまい、地上に住み着いて3年間高天原にもどらなかった、という神さまで、野見宿禰は、天穂日命の14世の子孫ということだ。

野見宿禰といえば、垂仁天皇の命で相撲を取るために出雲から呼ばれ、相撲の元祖としても有名な人で、また、殉死のかわりに埴輪を考案したともいわれていて、土師氏の祖でもある。

この地域の古墳を作る際に、埴輪を作るために土師氏の人々がこの地にきて、野見宿禰命を祀ったのだろうか?

【由緒】

野見神社には今伊勢古墳群の一つである野見古墳があり、その古墳に被葬されるような一族がその祖神、野見宿禰をを奉祀したと考えられている。

野見古墳については、式内社調査報告に、「新編一宮市史」からの抜粋で解説されている。

「直径約20m、高さ約1mの小規模な円墳で昭和36年5月に発掘調査をされたが墳丘は崩れ主体部は撹乱されていた。発掘の結果、滑石製模造品刀子二、瑪瑙製勾玉一、直刀二、鎧片、剣、鉾、鉄斧などが検出され、墳丘からは円筒埴輪の破片も出土した。この古墳に鏡が副葬されていたか否かは知るすべもない。主体部についても石材などがみられない点から木棺直葬であったろう。出土遺物から考えて前Ⅲ期(五世紀前半)に位置づけられる。滑石製模造品は尾張の古墳には余り例をみないが、五世紀代の古墳の祭儀にはしばしば用いられ、なかでも刀子は一度に数十箇を埋納した古墳もある。」

【社殿】


社殿は、南向きに建ち、拝殿・祭文殿・本殿と並ぶ。

拝殿の鬼瓦などに神紋は見られない。

拝殿正面には、龍などの飾りがついている。


拝殿から離れて、後方に祭文殿が続く。


祭文殿の蟇股には、何を象徴しているのか不明だが、飾りがつく。


本殿は流造りで千木・鰹木はない。

本殿の、龍の蟇股と獅子の木鼻。


【参拝記】

2011年1月30日、一宮の北部地域にある式内社や八剣神社を訪ねて歩いた。

まずは名鉄「今伊勢駅」からその西南西にある式内社の「野見神社」をめざした。

この日は、前日からの雪がところどころ少し積もっていて歩きづらい。

「式内社調査報告8」によると、境内に古墳があるそうで、この地を治めた尾張氏の誰かかが葬られているらしいが、私はどこにあるのか気が付かなかった。

社殿の後方に、一宮市指定文化財の「スダジイ」の巨木がある。


「一宮市指定文化財。ブナ科。常緑の高木。樹齢およそ300年。
この種の樹木としては、まれにみる大木であり、樹勢はすこぶる旺盛である。樹皮は縦に裂け目がある。葉は二列生であり、互生する。広楕円形で先端は尾状に尖る。葉の長さは5~15cm。革質で裏面に淡褐色の鱗屑があり、全縁に近いが上部に鋸歯がある。
6月に開花し、翌年秋に果実を生ずる。果実は他のドングリと違って、あく抜きせずに食べることができる。スダジイに似たものに、果実が小さくて丸いツブラジイがある。両者の葉の違いは、スダジイの葉の表皮組織が二層であるのに対し、ツブラジイは一層でできている点である。スダジイの実は、ツブラジイの実に対して長くて大きいので、果実があれば区別は容易である。果実がないとき、樹皮の裂け目の有無で判断することもあるが、何れか迷うことが多い。それより安定した性質の表皮層の数を顕鏡して調べたほうがよい。」


境内に小さな社が祀られているが、社名・祭神などはわからなかった。

次に式内社の「坂手神社」に向かった。